湯の沢温泉(ゆのさわおんせん)は、秋田県北秋田市にある温泉

湯の沢温泉(ゆのさわおんせん)は、秋田県北秋田市にある温泉

湯の沢温泉(ゆのさわおんせん)は、秋田県北秋田市にある温泉である。経営者の苗字から杣温泉あるいは小又温泉ともよばれる。杣温泉から引き湯をして、近くの湯の岱地区にも国民宿舎森吉山荘がある。全て源泉かけ流しになっている。

Soma Onsen.jpg

湯の沢湯本

スポンサーリンク

適応症

  • 浴用 きりきず、虚弱体質、皮膚病、やけど、婦人病、動脈硬化症、痛風、糖尿病、筋肉痛、五十肩、関節痛
  • 飲用 消化器病、糖尿病、痛風、胆石、便秘、肥満症

禁忌症

  • 浴用 急性疾患、活動性結核、悪性腫瘍、重い心臓病
  • 飲用 肝臓病、高血圧、むくみ

成分

温泉水1kg中 ナトリウムイオン 290.2mg カルシウムイオン 130.1mg 塩素イオン 449.4mg 硫酸イオン 310.2mg 炭酸水素イオン 12.0mg

ソース画像を表示

歴史

久保田藩南部藩との境界地を守護するために、貞享元年(1684年)小又川の上流の地、砂子沢に一集落を作り、国境守護の人民を移動させた。享保2年(1717年)宮野四郎兵衛が境目巡視の際に、湯の沢に来て温泉を発見した。地区の古老に聞くと古来から温泉があると言い伝えがあるが、深山で場所を知らないと言うことであった。実際に温泉に病の人を入浴させてみると全治することから、温泉地開発が始まった。大正3年には杣氏の個人所有になり今日に至る。

杣家は本姓が相馬氏で、戸籍法が実施される際に役場担当者が漢字を間違ったものである。江戸時代の古文献でも相馬となっていて、2人扶持を与えられていることからこれが分かる。

終戦直後には、この地には東京電気化学株式会社の東北前田炭鉱(昭和11年~昭和37年)と、奥羽無煙炭鉱(昭和13年~昭和44年)があった。その頃にはこの地には映画館、郵便局、床屋、小中学校、商店がひしめき、炭鉱で働く人々の社宅もあり賑やかなものであった。現在この地にはその記念碑が残されている。この碑の前には現在も炭鉱がおちている。また、湯の岱小中学校は最盛期には350人もの児童生徒が学んでいた。(参考文献:『消えた炭鉱の記憶』、秋田ふるさと選書、2015年8月)

菅江真澄の時代では「ぬるま湯」であった温泉で、明治時代でも35℃程度の湯温であったが、昭和50年頃の山陰にあった電化の発掘作業で発破をしたところ、急に温度が上がった。また、菅江真澄の記録でも明治時代の記録でも硫黄臭が大きいとあるが、現在では硫黄臭はそれほどでもない。

2011年3月の東北大震災では2ヶ月半程度、温泉が少なくなり温度が30℃程度に下がった。その後、ポンプを使い湧出量も復活し温度も52~53℃に戻った。

スポンサーリンク
< async src="https://pagead2.googlesyndication.com/pagead/js/adsbygoogle.js">

(adsbygoogle = window.adsbygoogle || []).push({});

ソース画像を表示

菅江真澄の記録

白糸の滝

1802年(享和2年)菅江真澄は『雪の秋田寝』で森吉山を登った後、白糸の滝を見ようと12月5日湯の岱を訪れた時の事を記録している。そのとき、湯の岱には家が2・3軒あることを記録している。真澄は、児童がハシバミの実をかむ音を碁を打つ音だと勘違いした。次の日の朝は、吹雪のため床もふすまも真っ白になった。 次の日に白糸の滝を見て「高い山かたら岩を二つ貫いて滝が落ちている。黒い岩面に白い糸すじになっている。周囲には桜の木なども多く、春秋は沢山の人が来るように思える」としている。真澄は滝の上にあるという硯石を探そうとしたが、深い雪でそれはかなわなかった。

1803年(享和3年)8月2日菅江真澄は『秀酒企乃溫濤』で、今度は砂子沢峠を越えて白糸の滝を訪れる。「…去年見た滝と違って白い布を翻して落ちるよう、山風に吹かれる様子が良い。あちこちから雲霧にこめられた滝の落水を濡れながら眺めた」と記している。真澄は川の淵に戻り「機織淵」の伝説を記録する。それは「水底が広い場所があり、そこでは機を織る女が住んでいて、その織姫を水神としている。夜更けにこの淵に立つと、その姫が機を織る音が水底から聞こえる。」というものであった。その後、真澄は湯の沢温泉に到着する。えごの木が咲き、草花が混じる道をかき分けて沢の奥の温泉に行く。そこには20ばかりの湯の館(真澄の絵では、湯船に屋根をかけた程度のもの)があったとしている。真澄はそこを「小股の湯」と記録している。真澄は、湯は極めてぬるいく、そこで宿泊する者はまれだと記している。真澄は入湯後、舟で機織淵を過ぎ湯の岱の民家に宿泊した。今度も雨で水かさが増し硯石を手に入れることはできなかった。

実際に地元で硯岱と呼ばれている場所は、小又川を東の方向に少しさかのぼったあたりで、古くから川底にある黒くて硬い頁岩で、木の葉の化石が混じった硯が作られていた。菅江真澄は後年、現物を見て「花紋石」として絵図に記録している。(『雪の秋田寝』)

ソース画像を表示

周囲

  • 湯の岱小中学校址
  • 東北前田炭鉱記念碑
  • 白糸の滝

アクセス

泉質ナトリウム、カルシウム、塩化物硫酸泉
泉温(摂氏53.7 °C
pH8.5
宿泊施設数2

コメント