鬼怒川温泉は、栃木県日光市の鬼怒川上流域にある温泉

鬼怒川温泉(きぬがわおんせん)は、栃木県日光市の鬼怒川上流域にある温泉

鬼怒川温泉(きぬがわおんせん)は、栃木県日光市鬼怒川上流域にある温泉

箱根熱海と並んで「東京の奥座敷」と呼ばれ、年間200万人以上の宿泊客で賑わう。

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鬼怒川温泉、鬼怒川ふれあい橋より上流方

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泉質

火傷に対する効能があるとされ、北側の川治温泉とともに「傷は川治、火傷は滝(現在の鬼怒川温泉)」と称された。総源泉数32、毎分3573リットルの湯量を誇る。

歴史

古くは滝温泉という名前で、1691年に沼尾重兵衛が鬼怒川右岸で源泉を発見されたとされる。1751年から日光奉行の支配となったことから、日光詣帰りの諸大名僧侶達のみが利用可能な温泉であった。

明治時代になって滝温泉が一般に開放され、明治2年には東岸にも藤原温泉が発見された。その後、上流に水力発電所ができて鬼怒川の水位が下がるとともに、川底から新源泉が次々と発見され、1927年(昭和2年)に、滝温泉と藤原温泉を合わせて鬼怒川温泉と呼ぶようになり、その名称は今日までいたっている。この頃から旅館・ホテルが開業を始め、1929年の下野電気鉄道(現・東武鬼怒川線)の開通もきっかけとなり、次第に温泉として発展していった。

戦後は特急「きぬ」の運行などもあり、東京から観光客が押し寄せて日本有数の大型温泉地としての発展を見せた。

1976年(昭和51年)4月3日、ホテル白河の別館から火災。旅館2棟が全焼するも、宿泊客が少ない午後2時という時間帯であり負傷者1人を出したのみ。

2015年(平成27年)9月9日、関東地方に記録的な集中豪雨。鬼怒川が氾濫して河畔に建つ鬼怒川プラザホテルの露天風呂などが崩壊。

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温泉街

約40軒のホテル旅館の他、リゾートマンションや企業の保養所などが連なり、市営の公共浴場や足湯の他、民間の入浴施設も多数ある。鬼怒川温泉駅周辺には、コンビニエンスストア、みやげ物店、レストラン、売店、カフェ、料理店、そば店、中華料理店、足湯、旅館観光案内所、ツーリストセンター、レンタカー、全天候型プール&スパ、銀行、郵便局などが並ぶ。外国人の観光客も多い。

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ホテル

  • きぬ川国際ホテル・・・ペット宿泊可
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周辺の名所・施設

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バブル崩壊から東日本大震災まで

バブル崩壊後は、団体旅行(特に会社の慰安旅行)の減少、レジャーの多様化、円高に伴う海外旅行の一般化などの構造的要因もあって、全国的に温泉街が経営的に一層苦しくなっている中、鬼怒川温泉も例外ではなく、熱海温泉別府温泉と並んで不振の代表格とされたことすらあった。同じ東京近郊立地の温泉地である箱根温泉に比べると、アクセスがやや不利で、集客にハンディがあったうえ、東北新幹線の拡充・延伸や航空運賃の低下に伴う東北北海道など北日本各地の観光地・温泉地との地域間競合、円高やLCCの出現による観光客の海外流出(中京関西といった遠方からだと日光・鬼怒川に行くよりもむしろ海外に行く方が安い場合が多い)も不振に繋がる要因であった。

内的なものとしては、会社などの団体客を主要顧客としていた時代の設備のままの経営や、硬直的で割高な料金設定(各ホテル・民宿ほぼすべて同じ料金に設定していた時期もあった)を後々まで続けていたことで、リピーターとなる可能性のある一人旅客や若年層を長年逃し続ける原因ともなった。

鬼怒川の渓谷沿いに大型のリゾートホテル・旅館が連なるようになったのは高度経済成長期以降である。多くの地場資本による宿泊施設のメインバンクである足利銀行は、融資拡大路線と相まってバブル期に宿泊施設の増築・改装といった設備投資に対して積極的に融資を行った。バブル崩壊後は越冬資金(売上が減少する冬季の運転資金)融資を引き受け、返済困難な既存借入を新規融資で肩代わりし借換えさせる(自転車操業)策により、殆どの宿泊施設は宿泊客が年々減少する平成不況下でも経営支援として延命されてきた。

しかし2003年11月に足利銀行は経営破綻し預金保険機構が一時国有化。融資基準が厳格化され、不良債権が認められた貸出先については新規融資が困難となり、あさやホテルのようにバブル期の設備投資による過剰な融資が集中した鬼怒川温泉界隈で資金繰りの悪化が懸念された。その後不良債権の多くは整理回収機構へ債権譲渡され、取立や資金繰りに屈した事業者が2005年前後に相次いで倒産した。また、あさやホテルをはじめとした5社(同じ日光国立公園内では他に3社)については産業再生機構に支援入りし、債権放棄を受け経営再建を果たすことになった。これらの施設は金融支援のうえ経営会社の株式(経営権)や不動産が企業再生ファンドに買い叩かれたことで財務基盤が身軽であり、設備のリニューアルや低価格を武器に集客を図っている。その一方、休館した一部のリゾートホテルは解体されず放置され、廃墟となっている。

2006年3月に「きぬがわ」・「スペーシアきぬがわ」新宿駅大宮駅鬼怒川温泉駅間で直通運転を開始し、東京の奥座敷では伊豆箱根方面が交通至便である西東京東京都区部からの集客に寄与することになった。なお、1995年に関東バス東武バス日光が新宿駅〜日光・鬼怒川温泉間の高速路線バスを開設したが1998年3月に撤退している。また、2006年11月を以てウェスタン村が休園(事実上の閉園)した。

2009年に世界金融危機の影響を受け、鬼怒川観光ホテルと鬼怒川ホテルニュー塩原を経営するホテルニュー塩原グループが自主再建を断念し、新旧分離を実施(2011年特別清算)した。

2011年は東日本大震災福島第一原子力発電所事故による放射能汚染の懸念から日帰りを含め観光客が激減。TEPCO鬼怒川ランドが閉園、それまで不良債権問題を免れ自主経営を続けてきた中小の民宿・旅館や店舗の廃業が相次ぎ、日光猿軍団も2013年12月末で解散となった(2014年10月に記念館として営業再開)。

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現状

2018年現在、各旅館ホテルは客室露天風呂の設置など、積極的にリニューアルし、インバウンド(訪日外国人客)の積極的な受け入れを行なったり、個人旅行及び富裕層のニーズに対応している他、星野リゾート界鬼怒川など高級旅館の新築による開業等明るい兆しである。

鬼怒川温泉駅前など温泉街を中心に、日光ブランド認定品の地元食材等を使用した、様々な嗜好のカフェなど飲食店や店舗などが増加している。

交通機関については、JRと東武によるJR新宿駅と鬼怒川温泉を相互直通する特急が毎日運行され、多摩地区、川崎横浜地区、23区西部などから鬼怒川温泉へのアクセスが大幅に向上した。

2017年のダイヤ改正では、新型特急リバティなど、東武浅草駅発着の特急電車が大増発し、更に鬼怒川温泉駅下今市駅間でSL運行開始、同時に東武ワールドスクウェア駅が新設され、利便性が大幅に向上した。

2018年、横浜駅羽田空港間の直通高速バスが新設され、羽田空港の利用者のニーズに対応した。

2017年に圏央道茨城区間、2018年に外環道千葉区間など首都圏内高速道路の開通により、成田空港及び茨城空港からのアクセスが大幅に向上した。

上記のほか、地元住民や企業、更に行政の努力により、観光客数及び宿泊客数が増加傾向である。

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交通

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