網張温泉(あみはりおんせん)は、岩手県岩手郡雫石町(旧国陸奥国、明治以降は陸中国)にある温泉

網張温泉(あみはりおんせん)は、岩手県岩手郡雫石町(旧国陸奥国、明治以降は陸中国)にある温泉

泉質

源泉は温泉地から2キロメートルほど離れた山中に存在する。

温泉街

十和田八幡平国立公園内、岩手山の南麓標高750メートルの地に、国民休暇村の「休暇村岩手網張温泉」が存在する。

周辺には、キャンプ場も存在する。スキー場の南には町営の日帰り入浴施設の「網張温泉ありね山荘」が存在する。

国民休暇村から山を入った源泉地付近に「仙女の湯」という混浴露天風呂が存在する。清掃協力金を払うことで入浴可能である。

歴史

開湯は和銅年間とされる。

古くは山岳信仰の対象とされた。江戸時代には、勝手に入浴できないように温泉に網が張られていた。今日の温泉名はこれに由来し、網張温泉となった。

1877年に、山中に存在している源泉から現在地まで引湯され、温泉地が開かれた。その後湯治場として賑わっていたものの、徐々に寂れていったため、1965年に国民休暇村が誘致された。

1886年の『日本鉱泉誌 3巻上』によれば、明治9年から13年の平均1年間の利用人数は840人であるとしている。

1948年8月15日、通称「バカヤロウ事件」発生。国立公園候補地の調査で現地入りした国立公園審議会の一行は、足が不自由な委員用のカゴをトラックに乗せて網張温泉を目指した。しかし、県道は悪路の連続で進退窮まってしまう。ジリジリした委員の一人が運転手に「バカヤロウ」と怒鳴ったところ、後ろからカゴを担ぐためについてきた青年たちは偶然に自動車に追いついた所に怒鳴られた格好になった。これを青年たちは誤解し、全員下山してしまう。委員一行は徒歩で網張温泉まで移動、カゴは村長や助役が担ぎ上げたが、夕食はお通夜同然であった。この事件は戦争の混乱で県道が軍の台帳上は自動車が通れることになっていたことも原因の一つであった。この事件は、この地区の国立公園指定が遅れる原因ともなったと言われる。

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